ロシア料理レストラン ロゴスキー <渋谷から銀座へ>

Russian Restaurant ROGOVSKI

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5「ロシアや東欧から美味しいワインが手に入る今の時代の幸せ」

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メニューの歴史/ロシア・東欧のワインの輸入今昔物語

写真は1980年代のワインやウォッカのラインナップです。
一見するといろいろありますが、時はソ連時代のため、輸入はひどく不安定、入荷しても瓶に入っているワインの量はまちまちだったり、 瓶自体も粗悪で、苦労が多かった話を聞いております。

そして、そのような時代に終わりを告げ、ソ連崩壊後はロシアや東欧に新しいムーブメントが起こり、 ボルドーのワイン哲学などを持ち込んでの新進気鋭のワイン造りが行われ、また伝統あるワイナリーはそれぞれ伝統に基づいた製法に立ち返ることが出来、 美味しいワインが次々誕生して行きました。

しかし、1990年以降、そのようなワインがたくさん生まれても、それを日本に紹介してくださるインポーターさんがほとんどいないのが現実でした。
その後、少しづつその美味しいワインの存在に気づくインポーターさんが増え、 お客様にお出しできる種類が増え、今はロシア料理店でも、料理とワインをペアリングできるようになりました。

ロシアや東欧のワインを飲んでみたい!
そう思うお客様が増えたことが、順調な輸入につながっています。
2017.3.24

4「100年前、激動の時代に生まれた美しいサラダ」

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メニューの歴史/毛皮のコートを着たにしん

ニシン、ジャガイモ、ゆで卵、にんじん、ビーツを別々にマヨネーズやサワークリームで和え、層状に積み重ねて作るこのサラダ。 誕生の秘話にこのような話があります。

20世紀初頭、激動の時代(ロシア革命〜ソ連誕生)に、アナスタスボゴミルと呼ばれる商人がレストランを経営していましたが、 この店は酔った客により喧嘩や政治論争が絶えず、家具は壊れ、食器は割れ、怪我をする人々が多くいました。

あるとき、料理人の一人が面白いレシピを思い付きました。
ニシン(プロレタリアートを象徴)、ジャガイモ(農民を象徴)、 血のように赤いビーツ(革命を象徴)を重ねたサラダでした。

その美しくも美味しいサラダに人々は喜び、平和な夜を過ごしました。1919年の新年前夜のことでした。
以来、お正月料理として広まり、1970年代には一般家庭でも作られるようになりました。

日本で有名になったのは1990年代以降のことです。
ロゴスキーでは、2015年秋の銀座移転とともに新しくメニューに入ることになりました。
実に誕生から約100年。今ではロシア料理の代表料理になりました。
2017.1.22

3「おいしいものをおなかいっぱい食べてもらいたい」

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メニューの歴史/いなか風ボルシチ

長屋美代(ロゴスキー初代料理長)著
「ロシア料理(1970年・柴田書店)」より抜粋
「いなか風というボルシチが特にあるわけではないが、昔、白系ロシア人の農家などに招かれるとよく出された形式のもので、いささか私のくふうも加えて、現在ロゴスキーで供しているものである。 肉、野菜もすべて大切りで無造作なところ、しかも栄養豊かで素朴な点で、名づけるとすればいなか風とでも呼ぼうか」

ロゴスキーでは、2種類のボルシチを作っています。
「いなか風」・・・スープはトマトとビーツがベースで、ゴロッとした野菜(ジャガイモ、人参、玉ねぎなど)と大きな肉をじっくり煮込んでいます。 いなか風ボルシチはロゴスキーを代表するボルシチです。

「ウクライナ風」・・・細切り野菜(人参、玉ねぎ、キャベツなど)、肉、豆が入る、ビーツたっぷりのロシアスタイルのボルシチです。 いなか風ボルシチとの違いを明確にするために、ボルシチ発祥の地にちなんで「ウクライナ風」という名前が付けられました。

ロシアのボルシチは、いなか風ボルシチのような大きめのカットはしません。ではなぜ「いなか風ボルシチ」が、このようにシチューのようなカットのボルシチになったのか。

時代は昭和20年頃にまで遡ります。
後にロゴスキー創業者となる長屋緑は、戦争で満州(ハルビン)に行っていました。そこはロシア人街だったのでロシア料理を何度も食べる機会に恵まれました。
戦後、東京へ戻ってから、満州で食べて美味しかったあのロシア料理を、日本で作ることを決心します。

当時の日本にはロシア料理を教えてくれるロシア人はいません。
気軽にロシア(ソ連)に行けるような時代でもありませんでした。
夫婦で試行錯誤を繰り返し、記憶を頼りにボルシチを作る日々。
そして、着々と記憶に残る美味しかったあのボルシチに近づいていきました。

完成したボルシチは、時代を反映して「おいしいものをおなかいっぱい食べてもらいたい」という思いで、ロシア式に具を小さくせず、大きな具にしたそうです。
そのまま現在まで約60年という長い期間、お客様からのご支持をいただき、看板メニューになっています。

2「ルースキー・チャイと呼ばれているわけではない」

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メニューの歴史/ロシア紅茶

「ルースキー・チャイと呼ばれているわけではない」
現在、日本で「ロシア紅茶(ロシアンティー)」と呼ばれているもののルーツについてご紹介します。
これは日本での独特の表現ですが、ロゴスキーのメニューが発祥になっていると思われます。
長屋美代(ロゴスキー初代料理長)著(昭和39年・柴田書店)「標準ロシア料理」より、以下「ルースキー・チャイ(ロシア紅茶)」の項目の抜粋です。

「ソビエトではルースキー・チャイと呼ばれているわけではなくて、私がかりにこう名付けただけです。 レストランなどでは出てきませんが、農家などを訪れるとよくこうしたお茶が出されます。」

ここで言われている「こうしたお茶」というのは、
熱い紅茶にジャムやはちみつや果実酒を混ぜ込んだ紅茶のことで、
ロゴスキーでお出ししている「あの」スタイルです。

1「肉の旨みあふれるスープを閉じ込める」

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メニューの歴史/春雨入りのピロシキ

「肉の旨みあふれるスープを閉じ込める」
日本ではピロシキといえば春雨入りを思い浮かべる方が多いと思いますが、 この作り方はロゴスキーの創業者(初代調理長 長屋美代)の考案したレシピです。

当時のロシア料理本(1950〜60年前後のソ連の本)には、具を炒めたあと「小麦粉を振り入れる」とありました。
肉や野菜から出る水分(スープ)を小麦粉に絡めることでとろみをつけてパン生地に包む方法でした。
しかし、せっかく春雨という食材のある日本。 おいしいスープを閉じ込めて、パン生地に包みやすくするにはもってこいの食材です。
使ってみたら、ぷるっとした食感も肉や玉ねぎの間でおいしく感じられます。
何よりおいしいスープをすべて取り入れることができます。

そんないきさつで、使われることになった春雨でした。 長屋美代の著書(昭和30〜50年代発行)のものはほぼすべて このレシピで書かれ、料理講習もこれで行われ、日本中に広まって行きました。
 
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