1951年創業。
日本で最初のロシア料理レストラン「渋谷ロゴスキー」
"Shibuya Rogovski” is the oldest Russian restaurant in Japan.
В Японии первый ресторан русской кухни "Сибуя Роговский"


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日本でのロシア料理の歴史
昭和10年代後半、後にロゴスキー創業者となる長屋緑は、戦争で満州(ハルビン)に赴任していました。
そこはロシア人街だったためロシア料理を何度も食べる機会に恵まれました。
終戦後、満州で食べて美味しかったあのロシア料理を、妻の美代とともに日本で作ることを決心し、 昭和26年3月、ロゴスキーは渋谷の片隅にわずか8席しかない店でスタートします。
しかしこれには大変な苦労がありました。
当時の日本にはロシア料理を教えてくれるロシア人はいません。
気軽にロシア(ソ連)に行けるような時代でもありませんでした。
夫婦で試行錯誤を繰り返し、記憶を頼りにボルシチやピロシキなどを作る日々。
そして、着々と記憶に残る美味しかったロシア料理に近づいていきました。
苦心の末誕生したメニューは、日本人になじみのないロシア料理を食べていただくためのアレンジや工夫をしました。
こうした初期のメニューは、その後、昭和30年代以降、本場ロシアで修業する機会を経てもなお、 日本人の口に合うロシア料理ということで、新たな変化を加えながらも土台は残り、 開業から60年以上を経た今では、日本でのロシア料理のイメージがこれらロゴスキーのオリジナルメニューであるものが多数あります。

初代料理長、長屋美代が書いた日本で初めてのロシア料理専門書「ロシヤ料理」(昭和33年・柴田書店)、 「標準ロシア料理」(昭和39年・柴田書店)、 その他の著書の抜粋や談話などから、独自のメニューの歴史をご紹介します。
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メニューの歴史/いなか風ボルシチ
「おいしいものをおなかいっぱい食べてもらいたい」
長屋美代(ロゴスキー初代料理長)著
「ロシア料理(1970年・柴田書店)」より抜粋
「いなか風というボルシチが特にあるわけではないが、昔、白系ロシア人の農家などに招かれるとよく出された形式のもので、いささか私のくふうも加えて、現在ロゴスキーで供しているものである。 肉、野菜もすべて大切りで無造作なところ、しかも栄養豊かで素朴な点で、名づけるとすればいなか風とでも呼ぼうか」

ロゴスキーでは、2種類のボルシチを作っています。
「いなか風」・・・スープはトマトとビーツがベースで、ゴロッとした野菜(ジャガイモ、人参、玉ねぎなど)と大きな肉をじっくり煮込んでいます。 いなか風ボルシチはロゴスキーを代表するボルシチです。

「ウクライナ風」・・・細切り野菜(人参、玉ねぎ、キャベツなど)、肉、豆が入る、ビーツたっぷりのロシアスタイルのボルシチです。 いなか風ボルシチとの違いを明確にするために、ボルシチ発祥の地にちなんで「ウクライナ風」という名前が付けられました。

ロシアのボルシチは、いなか風ボルシチのような大きめのカットはしません。ではなぜ「いなか風ボルシチ」が、このようにシチューのようなカットのボルシチになったのか。

時代は昭和20年頃にまで遡ります。
後にロゴスキー創業者となる長屋緑は、戦争で満州(ハルビン)に行っていました。そこはロシア人街だったのでロシア料理を何度も食べる機会に恵まれました。
戦後、東京へ戻ってから、満州で食べて美味しかったあのロシア料理を、日本で作ることを決心します。
当時の日本にはロシア料理を教えてくれるロシア人はいません。
気軽にロシア(ソ連)に行けるような時代でもありませんでした。
夫婦で試行錯誤を繰り返し、記憶を頼りにボルシチを作る日々。
そして、着々と記憶に残る美味しかったあのボルシチに近づいていきました。

完成したボルシチは、時代を反映して「おいしいものをおなかいっぱい食べてもらいたい」という思いで、ロシア式に具を小さくせず、大きな具にしたそうです。
そのまま現在まで約60年という長い期間、お客様からのご支持をいただき、看板メニューになっています。
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メニューの歴史/ロシア紅茶
「ルースキー・チャイと呼ばれているわけではない」
現在、日本で「ロシア紅茶(ロシアンティー)」と呼ばれているもののルーツについてご紹介します。
これは日本での独特の表現ですが、ロゴスキーのメニューが発祥になっていると思われます。
長屋美代(ロゴスキー初代料理長)著(昭和39年・柴田書店)「標準ロシア料理」より、以下「ルースキー・チャイ(ロシア紅茶)」の項目の抜粋です。

「ソビエトではルースキー・チャイと呼ばれているわけではなくて、私がかりにこう名付けただけです。 レストランなどでは出てきませんが、農家などを訪れるとよくこうしたお茶が出されます。」

ここで言われている「こうしたお茶」というのは、
熱い紅茶にジャムやはちみつや果実酒を混ぜ込んだ紅茶のことで、
ロゴスキーでお出ししている「あの」スタイルです。
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メニューの歴史/春雨入りのピロシキ
「肉の旨みあふれるスープを閉じ込める」
日本ではピロシキといえば春雨入りを思い浮かべる方が多いと思いますが、 この作り方はロゴスキーの創業者(初代調理長 長屋美代)の考案したレシピです。

当時のロシア料理本(1950〜60年前後のソ連の本)には、具を炒めたあと「小麦粉を振り入れる」とありました。
肉や野菜から出る水分(スープ)を小麦粉に絡めることでとろみをつけてパン生地に包む方法でした。
しかし、せっかく春雨という食材のある日本。 おいしいスープを閉じ込めて、パン生地に包みやすくするにはもってこいの食材です。
使ってみたら、ぷるっとした食感も肉や玉ねぎの間でおいしく感じられます。
何よりおいしいスープをすべて取り入れることができます。

そんないきさつで、使われることになった春雨でした。 長屋美代の著書(昭和30〜50年代発行)のものはほぼすべて このレシピで書かれ、料理講習もこれで行われ、日本中に広まって行きました。
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メニューの歴史/毛皮のコートを着たにしん
「100年前、激動の時代に生まれた美しいサラダ」
ニシン、ジャガイモ、ゆで卵、にんじん、ビーツを別々にマヨネーズやサワークリームで和え、層状に積み重ねて作るこのサラダ。 誕生の秘話にこのような話があります。
20世紀初頭、激動の時代(ロシア革命〜ソ連誕生)に、アナスタスボゴミルと呼ばれる商人がレストランを経営していましたが、 この店は酔った客により喧嘩や政治論争が絶えず、家具は壊れ、食器は割れ、怪我をする人々が多くいました。
あるとき、料理人の一人が面白いレシピを思い付きました。
ニシン(プロレタリアートを象徴)、ジャガイモ(農民を象徴)、 血のように赤いビーツ(革命を象徴)を重ねたサラダでした。
その美しくも美味しいサラダに人々は喜び、平和な夜を過ごしました。1919年の新年前夜のことでした。
以来、お正月料理として広まり、1970年代には一般家庭でも作られるようになりました。
日本で有名になったのは1990年代以降のことです。
ロゴスキーでは、2015年秋の銀座移転とともに新しくメニューに入ることになりました。
実に誕生から約100年。今ではロシア料理の代表料理になりました。
 
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